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「美学」は哲学の一学科としてそもそも可能か、もし可能なら、それはどのような根拠に基づいているのか――これを考えることが私の思索の中心をなしています。この問題は美学の根幹をなすはずなのに、私の知る限り、これを真正面から取り上げた思索は存在しません。
論理的に「こうであって、他ではあり得ない」という事態や、倫理的に「まさにこうするべきである」という状況は、それぞれ「真」や「善」に関わります。これらは人間の合理的能力(悟性および理性)を使って認識することが可能です。しかし、「美」はこれらとは「かたち」をことにする価値であり、合理性の埒外にあります。さらに言えば、「美」は「真」や「善」を包越する(包み込み超越する)価値であると私は考えています。ヒントは、「過去」と「未来」とが、「もうないもの」と「まだないもの」として「存在していない」にもかかわらず、「現在」の中で「意味」や「価値」をもっている点です。言い換えれば、「今」は「過去」や「未来」を内包する時間契機です。「真」は〈過去に生起した原因と現在の結果とを結びつける因果律〉に、「善」は〈未来に実現するべき目的と現在の行動とを関連づける目的論〉に、基づいています。それに対して「美」は「今」そのものの「あり得べきすがた」として、過去的性格を持つ「真」と未来的性格を持つ「善」とを超えた原理に基づいて実現するわけです。ここに「美学」が「哲学」「倫理学」とならんで広義の哲学を構成する一学科として存在する意味があります。
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哲学的美学の基礎づけである「美と芸術への思索」は、「現実的世界(リアルな世界)」を「価値」の観点から考察します。現実は、〈合理的な認識の基にある論理的必然性〉や〈道徳的な行為の基にあるべき倫理的必然性〉によって説明し尽くすことはできません。まさにこの意味において、現実的世界における私たちのはたらきである「作る」ことは、論理や倫理で云々できる問題ではないのです。そしてこの、〈「作る」ことを根幹に据えたシステム〉こそが、私たちがそこで生きはたらいている〈現実的で歴史的な世界〉なのです。このことを知ることによって、私たちは様々な洞察を得ることができます。例えば、所謂「専門家」の見解の信頼度、さらには〈強い発信力を持つ道義的正しさ〉が孕む危うさ、人間を含む自然の複雑さ、自然科学の原理的限界についてなど、時に私たち自身の生死に直結する喫緊の諸問題について、あなたも、周囲の空気に流されることなく、自分の頭で考えて判断できるようになります。